太平洋戦争前のハワイには、7つの公共鉄道と、47を数えるプランテーションの産業鉄道が、島中に網の目の様にはり巡らされていました。Oahu
Railway & Land Co. は、まだハワイが王国だった 1889 (M22) に、砂糖工場を経営していたアメリカ人によって敷設されました。粗糖や糖蜜の積出港までの輸送が目的で、太平洋戦争中は24時間体制で兵員や弾薬の輸送にもあたりました。 |
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終戦間も無い
1946 (S21)
に島を襲った津波によって壊滅的な打撃を受け、翌年の1947
(S22) に運行を停止、そのままの状態になっていたものを
1970 (S45) に発足した The
Hawaiian Railway Society が、島の西側 Ewa(エバ)地方に残された一部の区間を観光用に復活させました。さらに路線を延長させる計画も進んでいます。 |