流山電鉄 (Nagareyama Electric Railway) Chiba 1067mm
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FC

ワ2

ワ200 202

ワ200 203

ワム300

ワフ2

ト1
在籍貨車の変遷 は推測で、公式データに基づくものではありません。)
改軌時 戦中 戦後 推定新製年
b. 1891=99(M24=32) 小倉工場 九州鉄道
>
国鉄 ワ6614/ワ6484 m44
>
ワフ1
/ (T13) > ワブ1/ s3
>廃 (S22))
b. 新橋工場
> 国鉄 ワフ2921/ワフ29xx m44 *5

>ワフ11/ (T13) > ワ1a/ >廃 (S12)

?
ワフ31/ワフ2 (S25) *1 明治初期
〜中期
b. 1885 or 86(M18 or 19) 新橋工場 日本鉄道 /
>
国鉄 ト9230/ト9205 m44
>
ト21
/ (T13) > ト1a/ >廃 (S14)

?
ト1b/ト1 (S27) *1 明治初期
〜中期
b. 1885 or 86(M18 or 19) 新橋工場 日本鉄道 /
> 国鉄 ト9337/ト9312 m44
>
ト22
/ (T13) > ト2/ >廃 (S14)
b. 1913(T2) 自社工場
新宮鉄道 ワ21/ワ21
>
(国鉄) ワ21/ワ21 (S9) *2
>
ワ1b/ (S18) >廃 (S22)

?
ワ11/ワ2 (S25) *1 明治中期
〜後期
ワ202/ワ200 (S32) *3 昭和初期
ワム301/ワム300 (S32) *4 昭和初期
庄内交通 ワ203/ワ201
>
ワ203/ワ200 (S30)
* RM Library 234 「流鉄(下)」より、貨車データを加筆しました。(2019.2.11)


*1 戦後の自社工場製とされるが、何れも形態は古典貨車で、製造年とされる昭和25年当時、短軸距・軽量貨車の乗入れが制限されていた国鉄線経由で、他社からの編入して来たとは考え難い。一方、戦前・戦中に在籍した貨車は国鉄からの不適合放出車で、汎用貨車の3輌は国鉄乗入れ禁止処置通達を機に廃車手続きが取られ、戦後になって ワブ1 と共に車籍復帰させたと考えられなくもない。戦時中の在籍貨車が ワブ1 と、戦時中に編入してきた ワ1b の2輌のみというのも不自然に思える。
*2 詳細不詳。私鉄買収放出車。
*3 自社工場製の復旧車、出自不詳。私鉄型木造有蓋車。
*4 自社工場製の復旧車、出自不詳。私鉄型木造有蓋車からの鋼板張り改造車で、造作が ワ202 に酷似する。
*5 RM Library では ワフ9221 と記載されているが、9000番台は無蓋車に配番されるので ワフ2921 の誤記の可能性がある。明治44年版「貨車略図」では ワフ2916~2922 が欠番となっており、以降の ワフ2923~ワフ3118 は、黎明期に新橋工場・神戸工場・オールドベリー社で国鉄・日本鉄道向けに製造された規格型小型有蓋緩急車が続いている。ワフ31/ワフ2 はこの同型車にあたる。
尚、昭和12年公開の映画「牛づれ超特急」中に ワ1
a/ が登場しているとのことだが、まだ確認できていない。

何故 ワ11 と ワフ31 の形式を ワ2形 ワフ2形 としたのか、何故 ワ200形 の ワ201 が欠番なのか等々、付番に関する謎も多い。
都心に程近く、6km足らずの小鉄道に、古典貨車・省型貨車・私鉄型貨車と、何れも個性的な貨車たちが顔を揃え、中でも黎明期の古典貨車が、東京オリンピックや東海道新幹線開業の昭和39年当時まで現役で使用されていたことは特筆に値する。

馬橋ついでに ・・・
以前 "社線不明貨車" として掲載した産業用タイプの鋼製無蓋車は、依然として有力情報が得られていない。

撮影当時、北千住〜馬橋間で産業タイプの貨車を保有していた可能性のある鉄道として、日立製作所亀有工場専用鉄道が有力候補に挙がっていたが、当時の航空写真を見ても確定するには至らなかった。そこで浮上したのが、馬橋駅の流山電気鉄道関連施設と肩を並べるように工場を構えていた鉄道用品馬橋工場である。「鉄道ファン半世紀」様の ローカル私鉄の車両たち(東日本) の 流山電気鉄道サハ31 の背景に、これと酷似した建物が写っている。但し1970年代には改築または増築され建物は形を変えており、こちらも確証が得られない。
当時の鉄道用品馬橋工場は、鉄道部品製造のほか、鉄道車輌の点検・修理や改造も行っていた。流山電気鉄道 ト1形 は工場付近で撮影されたもので、足元に搬入された鋳造用のスクラップが写っている。さて、問題の貨車は未塗装でブレーキ装置が取り外され、改造中の様にも見える。もし外部から工場入りしている貨車なら、産業用貨車の可能性は低く、個体特定へのハードルはさらに高くなる。可能性として工場内でスクラップや鋳造用の砂や燃料を運ぶ専用貨車に見えなくもない。

当時の鉄道用品馬橋工場と流山電気鉄道の関わりを知る由もないが、馬橋駅に配属されていた流山電気鉄道の入替機が、鉄道用品馬橋工場の入替を兼務していた可能性も考えられ、現在も枕木販売等で営業を続けるこの奇妙な会社が、ミステリアスな流山電気鉄道の貨車の経歴と深く関わっている様な気がしてならない。